『和歌とプレゼント』
お誕生日プレゼント、クリスマスプレゼント
プレゼントは、子供の成長過程の1つの節目、節目の祝い事。
成長するにつれ、プレゼントの品は形を変え、
親もまた、子供の目の高さになって、
本当に欲しい物は何だろう?
喜ぶ顔見たさに、目の奥をのぞき込んで、遊びをじっと観察。
和歌2歳の誕生日プレゼント
動物好きの和歌。
動物のぬいぐるみならば、当たりハズレがなかった。
その日のプレゼントは、今までになく、大きな箱。
お誕生日とは何か?はまだ解からなかった。
でも、リボンのついた四角い大きな箱は、
自分のものだと、すぐに解かった。
ニッコリすると、箱のフタを下から持ちあげ、パッとはらいのけた。
でてきたのは、等身大のクマさん。
やっとの思いで抱きあげ、
パパに手伝ってもらって寝床まで。
クマさんと抱っこでネンネ。
誕生日のごちそうの満腹感も手伝って、
フワフワとした暖かいぬくもりは、ドッと深い眠りに。
大きなクマさんに、鼻を押し当て、
まるでママのオッパイに顔を埋めて寝ている赤ちゃん。
クマさんはまるで和歌のママだった。
和歌3才のクリスマスプレゼント
これまでぬいぐるみが多かった。
少し違ったものをと思い、おもちゃの国キィディーランド。
館内は、暖房が効き過ぎ。
プレゼントを探す親子で身動きできないほど。
目をひくめずらしいものばかり。
時間のたつのも忘れ、ふと気づくと、6時。
早く決めなくてはと、
暑さと疲労感、焦りで、ボーッとした時、
涼しげな彩りのランプに照らされ、
ゆっくりと廻りながら、童謡を奏でる
ガラス細工のクリスマスツリー。
それはオルゴールだった。
なんて素敵なんだろう。
ガラス細工の小さな可愛いオモチャがたくさん吊るしてあった。
-がしかし、これはオモチャではなく、
アクセサリーであるということに、気づかなかった。
家に戻ると、待ちくたびれたのか、
「オカエリナサイ!」と無愛想。
プレゼントの箱を見ると、
遅くなった理由が解かりかけたとばかりに、ニッコリ。
さっそくヒモ解き、箱から出して、床の上に。
予想とは違ったのだろう。
ガラス細工を凝視する冷たい表情は、
ガラス細工の雪の女王そのもの。
あわてた私は、ごちそうやケーキで穴埋めしようと、台所へ。
「さあ、もう、お食事にしましょうね」
と言いかけ、ドアを開け驚いた。
まるで地震にあったように崩れ去り、
唯のガラスの粒の山。
落としたか?たたいたか?
それとも、持ちあげ、あやまって落としたか?
そんな事は、もうどうでも良いことだった。
それよりも、崩れ去ったツリーを前に、
ペッタリと座り込んでいる、
和歌の気持をどうするか?
そのほうが先決だった。
どんなにプレゼントを楽しみにしていたか?
その思いだけがひしひしと胸に伝わってきた。
もし、わざとしたならば、
いけないと知っていてやった和歌こそ、
どんなにか胸の痛む思いだろう、
あえて何一つ聞くことはしなかった。
子供によく自分勝手とはいってきたが、
自分勝手は、私のほうだった。
ガラス細工のクリスマスツリーは、大人のエゴ、虚構の城。
一瞬にして、崩れ去ったガラス細工は、
傷つきやすい、幼心そのもの、
して良いこと、悪いこと。
理屈では解かってはいるものの、理論と行動が伴わない、
まだ動物の面影を残した、衝動的な行動でもあり、
たとえ親でも、手加減しない。
素直に、正直に、自由に自分を表現できた。
まさに、反抗期、3才児。
人の子として、
順調に育った証拠ではないかと思える出来事だった。
起こした行動は大人へ短い言葉、サインだった。
この出来事を、4才のクリスマスプレゼントにどう活かすか?
これが、私の1年間の長い長い課題だった。
和歌もも組さんのクリスマス
幼稚園年中もも組さんは、
幼稚園でもお家でも
2つのクリスマス会を祝うことができた。
これまで、家では家族だけのクリスマス。
はじめて、幼稚園のお友達を呼び、
お家でクリスマス会
飾りつけは、家にあるもの利用した。
今までと違うのはテーブルの上の料理。
自分たちで作る。
大人はお客さま。
一人一人が小さなコックさん。
手巻ずし、ホットケーキ、たこ焼き、ヤキソバ……。
縁日の屋台のようだった。
一番最後はプレゼント交換。
自分で心をこめて作った手作りのプレゼントを交換。
最後は、
その日のために一年間待ちに待った
私の一大イベント。
去年のクリスマスプレゼントのやり直し
「今日は皆さん、どうもありがとう。
ハイ!
これから、和歌だけでなくみなさんに、
私から素敵なプレゼント!」
テーブルの上には、心なしか、時折ゆれる
おリボンのついた四角い箱。
子供たちの目は、いっせいに箱に集中。
カンの良い和歌は、ニコッ
急いで一気に箱のヒモをほどき、フタをとった。
出てきたのは、
身を縮めて
いち早く箱のフタを開けてもらうのを待っていた、
赤いリボンをつけた、
手のひらサイズの黒い子ネコちゃん。
「なんて可愛いの」
急いで抱きあげ、
「お母さんどうもありがとう」―と。
こんなに喜んだ顔は一度も見たことがなかった。
子供たちは、次々に抱かせて、抱かせてと。
その日の子供たちのキラキラした瞳は、
クリスマスのどんなシャンデリアよりも、輝いて見えた。
3才、反抗期最盛期。
とかく反語でしか表現しない和歌から出て来た、素直な一言。
「お母さんどうもありがとう」は、
私の胸にきざまれ、一生忘れることはないだろう。
あの日の雪の女王は、今、目の前で溶け去った。
許された私がいた。
このことは、反抗期、思春期、
嵐のような時期を迎えるであろう私を
きっと支えてくれ、乗り越えさせてくれるであろう。
「お母さんどうもありがとう」は、
このことを確信できる一言だった。
プレゼントは本物にまさるものはない。
いつの日か、ボーイフレンドができるであろう。
きっと、どんなダイヤモンドよりも、
「I LOVE YOU」の一言と、
本物の1匹のトカゲのほうが
よほど喜ぶかもしれませんことを-
王子さま方にお伝えしたい。 |